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もや自分自身の第二言語習得に真剣に取り組んでいる方なら誰もがお気づきのことと思いますが、シカゴ在住の萩原さんが、バイリンガルに関して書かれた様々な著書を研究された結果をエッセイとしてまとめてくださいました。トロント大学中島和子教授の「バイリンガル教育の方法12歳までに親と教師ができること 」その他、幾つかのバイリンガル教育に関する本を大変わかりやすくまとめられています。 日本は国であるから外国語をぺらぺらしゃべっている人をみるとわからないだけにとてもすごいような気がしてその外国の言葉がその人にとって日本語と同じレベルなのだと思いがちである。 二言語を完璧に操れる人のみがバイリンガルでどちらかまたは両方の言語がネイティブに比べて少しでも劣っていればバイリンガルではないという考え方はない。バイリンガルは理論的には、二重バイリンガル(両言語とも母語話者と同じ能力を持つ。)、平衡バイリンガル(両言語の能力の差はないが、母語話者の能力には及ばない)と、偏重バイリンガル(いずれ能力は母語話者と同じだが、能力は母語話者に比べて劣る)に分けられる。 実際には二重バイリンガルは稀であり、平衡バイリンガルと偏重バイリンガルが多い。 母語話者と同じ能力というのは認知能力や、複雑な表現をも含むが、国であっても言語の発達は年齢によって差があるので、「年齢相応の」という考え方は必要だと思う。でバイリンガルが主に会話に関する定義であるのとは二言語に関する読み書きも相当程度にできる人に関して中島和子はバイリテラシーと言う言葉を使って区別している。二重バイリンガルの対極にあるものとして、セミリンガルという言葉が使われるが、最近これは子どもの人権を侵害する可能性がある差別用語として、避ける傾向にあるそうだ。 中島は少数言語グループにはどのことばも不十分で、話せない、書けない、大人がいるが子どもの場合は環境が変わり十分に刺激が与えられれば正常に戻る可能性を十分に持っているので、成長過程の子どもが海外赴任などで、バイリンガル環境に置かれて両方の言葉が不完全になるケースは「一時的セミリンガル現象」として区別すべきだと述べている。『言葉と教育』の中で「バイリンガルは二つの言葉の統合した力を持っているものなので、モノリンガルの子どもと比べたらそれぞれの言葉がやや低くなるのは当然なのです。バイリンガルは、モノリンガルを二つ足したものと考えて少しでもモノリンガルと差があると、『セミリンガル』と決めつけるのは穏当ではないと思います。」述べている。 うえでバイリンガルに関して、主に日本語と英語、またアメリカと日本という視点で考えてみたいと思う。 日本は間は言語を話す必要がないし、モノリンガルの環境の中で自然に他言語を習得できるわけもないから日本語以外話せない人が多いのは事実である。 英語が通じるのだろうが、観光旅行となると話は違ってくる。 ではアメリカではバイリンガルをどのようにとらえているのだろうか。 子をバイリンガルにしようと試みる。1日8時間、英語、家庭内だけがフランス語という環境の中で、やがて英語の能力のほうが勝ってゆき、兄弟同士が英語で会話をするようになる。 Stephanはarticleの中でバイリンガル教育は成功を収めたと述べている。 日本人であれば、この時点でバイリンガル教育が成功したというであろうか。英語はフランス語で、小学校高学年から中学生もしくはそれ以降に学習すべき複雑な表現や、膨大な語彙の獲得をずしてバイリンガル教育が成功したと言い切れるであろうか。日本人とはバイリンガルに対する考え方が違うということである。というバイリンガルとバイリテラシーを区別しているということである。彼が試みたのはバイリンガル教育であってバイリテラシーを求めていたわけではないということであろう。バイリンガルにおいて、何が重要なのだろうか。 獲得した文法は会話の中ではそうスムーズには使えないのだが.このように考えると、7thグレードで外国語の学習を始めるということは、バイリンガルを育てるここと別物であることがわかる。 この言語の学習するということと、バイリンガルを育てることとが、まったく別物であるという認識が果たして日本の社会においてのであろうか。 その中で英語を母国語としない子どもは、アメリカ人の幼児期の段階から大変と言えば大変である。 いくとバイリンガルの要素とはもちろん二言語のどちらでもコミ二ケーションがとれるということではあるがそれはきちんとした文法とか語彙が十分であるとかの問題よりもたとえ単語レベルであっても文法が不完全であってもnative speakerがよりよく理解できる言葉を話す人ということになる。 母語の文法的な完成が6歳から8歳ということを考えれば、先の例でバイリンガル教育に成功したと言っていることも理解できる。学習だけでは獲得できないものをバイリンガルの子どもは獲得しているのだと思う。 スパニッシュが英語よりも劣る言葉であるはずはない。アメリカ国内においてスパニッシュを母国語と爆発的に増えている。スパニッシュでも英語でもないスパングリッシュのラジオ番組もあるらしい。英語ができないからバイリンガルのクラスに入れてもらう、もしくは入らざるをえないというものではなかったのである。国の言葉で教育を受ける権利を堂々と主張する。国からの移民の増加に伴い、日々Bilingual Educationの研究がなされている。 英語を母語とする子どもたちの第二言語獲得をめざして、英語と第二言語の教育を組み合わせて授業を行うプログラムである。 イリノイでは、各学校に同じ言語を母語とするLEP児(英語能力が劣っている児童)が在籍する場合、バイリンガルの実施が実施、アメリカと出身国の両方の文化を教えること、このクラスには原則3年間在籍できること、バイリンガル教育を行う教師は資格を有すること等が州の法律で定められている。このようにバイリンガル教師の資格を設け、きちんとした知識を持った教師を養成することによって、英語を教え込むというだけでは子どものアイデンティティーや、母国の文化の尊重、精神的なケアも含めてよりよい教育が行われるように考えられている。日本人バイリンガル教師の中にも勉強している人たちが増えてきて、知識はどちらの言葉で入れても同じ。 バイリンガルのクラスは隔離された閉鎖空間だとか、一刻も早くつなぎのクラスという認識は改めていったほうがよいと思う。私が15区の中だけでさえ、レベルや、生徒に対する待遇、学校の考え方などさまざまなように見受ける。学校では、日本人の親で、何らかのボランティアにかかわったことがないという人はほとんどいないというくらいみんな活発に活動しているし、PTAの役員の中にも日本人が何人かいる。実際の教育現場を見ての話なのだが、英語を母国語としない子どもたちが授業を受けている間、ヒスパニック系の子どもたちはバイリンガルの授業を受けている。 クラスでは、スパニッシュを使って英語の学習するだけではなく、スパニッシュの読み書きを指導しているというので、びっくりしたことがある。「なぜ?」という問いに返ってきた説明によるとここにいる子どもたちの中には、ここに来て初めて学校へ通うことができるようになった子どももいる。現地校へ移動してバイリンガルのクラスに入ってもそれではついていけない。スパニッシュの読み書きを教えるのだということであった。そのような子どもたちの中には小学校中学年以上の子どもたちもいるのである。 日本人に日本へ帰国したとき日本の受験戦争についていけないということは深刻な問題なのだろうが、いろいろな国の子どもたちを預かるESLの先生にしてみれば日本人が悩んでいることより、深刻な問題を抱えている子どもたちがいるということなのだと思う。圧倒的に永住者が多い国からの移民と、駐在の日本人とでは立場が異なる。 永住すればそこの国の言葉が強い言語になっていくのは当然だが、日本人のように何年かアメリカに滞在して日本に帰らなくてはならない場合、短い期間で英語を獲得することも難しいし、その間に日本語力が落ちてゆくのも確かである。ときからバイリンガルの環境で育っているのであれば、両方のことばが母語になるので、両方の基礎ができていかなければいけないということになる。 たとえ時間が余分にかかったと学習を続けていけば低年齢で異言語環境に入った子どもも子に追いつくことができるというのも調査結果の中に表れている。 中島和子は「セミリンガル現象―幼児事の場合」の中で語彙テストの結果を元に警告として海外子女は、一歩間違えばセミリンガルに危険性を持っているといえます。 帰国子女の中にセミリンガルがいるのです。親や原因が年齢を考慮しなかった学習言語の選択にことも気づいていません。他人事ではありません。個人差があるように、バイリンガルにも個人差があるわけで、バイリンガルというととどうしても学年平均に達していなければいけないと言うのも問題です。 言語と言うのはその国の文化と密接なかかわりを持っている。 バイリンガルになるための要素を身につけながら、滞在期間が短かったためにセミリンガル状態を脱しきれない子どもたちの、「遅れてしまった日本語を効率よく取り戻すためのカリキュラム」、「英語能力の完成のためのカリキュラムなどの特別な教育体制」を用意することなく、とりあえず日本の教育の枠の中に戻そうとするだけの受け入れ態勢はあまりにもお粗末ではないか。ということを繰り返し親に吹き込むのはひどい話だと思う。 セミリンガルという言葉はスカンジナビアの学者が使い始めた言葉だと言うことだが、それを、使っている国は日本以外世界でも例がないのではないかと思う。日本におけるバイリンガル教育  日本は島国なので、アメリカのように移民が多いということもなければ、ヨーロッパのように言語が違う国どうし簡単にいったり来たりできるなかった。 就学する子どもも増えているわけだが、アメリカのようにバイリンガルのクラスを設けたり資格をもつ教師を養成したりするところまではいかない。 ここアメリカ、ここシカゴにおいてはバイリンガル教育や国際理解教育の手本や参考となるものが山ほどあると思う。 ESL教師と親のためのミーティングが定期的にもたれ、その中で親に対してどのように子どもをヘルプすればよいか、気をつけなければいけないことなど、指導してくれること。
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